第一回 創作 同人ゲーム 世界観のバックグラウンド 「原初」

創作では、僕が何かを書いたときにメモ代わりとしてここに載せる。だから完結することはほとんどない。序盤だけ。とか、設定だけ。とか、そんなところ。だから、そういうのが好きな人は見ればいいし、嫌いな人は見なければいい。今回は、文藝賞用の小説を書く片手間で書いた同人ゲームで使おうと思ってる世界の設定。世界観のバックグラウンド。だから、これについて書くことはないし、これについて、詳しく掘り下げるつもりもない。ただ、こういう歴史のもとに、このゲームの世界はできてますよっていう、ただそれだけの、いわば共有する世界のこと。これを読んで、あ、この世界観だったら作ってみたいかもっていう人がいたらコメントください。プログラマーとか、絵師さんとか、絶賛募集中。同人ゲームについては、少し前に書いた記事があったと思うから、そっちを読んで。

 

始め、ひとつの世界があった。かの世界は神秘によって存在を許された世界。神秘が息絶えたその時、世界は滅びる。神秘とは、奇跡のごとき世界の理。神と人間の契約。それを人々は、魔法と呼んだ。人智を超越した奇跡の御業。その神秘の源は、神との契約の証。世界に配する十三の魔石。時の魔石、空間の魔石、大地の魔石、大海の魔石、宇宙の魔石、光の魔石、生命の魔石、文明の魔石、神秘の魔石、進化の魔石、改変の魔石、輪廻の魔石、そして、約定の魔石。世界を形作る十三の魔石の管理は、それぞれを神秘の担い手となる魔法使いが担った。十三に分かれた魔法使いは、やがて、血で血を洗う戦乱の元凶となる。世紀末と呼ばれるかの戦争は、十三の魔石の内、約定の魔石以外の十二個が一つになったことにより、神の怒りに触れる。契約の違反。世紀末は、人類と神との戦争の長い長い序章に過ぎなかった。人類は、神の圧倒的力のもとに倒れることとなった。神は人類を滅ぼすため、戦火を拡大していった。

人類の滅亡。それは、神との契約の中で最後に来ていたシナリオ。そのシナリオを書き換えるため、魔法使いたちは再び一つになる。彼らは神との間に、刃ではなく話し合いを持ってこの戦争を終わらせようとした。

全権として神のもとを訪れたのは、魔法組合 第一位階 名をノア・アンブローズ・アシュクロフト。魔法組合の歴代組合長を務める神秘の魔石の守護者。アシュクロフト家の長男だった。のちに神人会議と呼ばれるこの会談の結果、十二個の石を再びもとあった姿に戻すこと、人類の滅亡、そして、神秘の魔石の破壊を条件に、二つの契約を新たに定めた。一つは新人類の誕生。もう一つは新人類に対する神の不干渉。一つ目は、彼ら、ここでは旧人類。旧人類の手によって作り出す新たな生命の存在、新人類の存在を保証すること。ただし、男女一対一組のみとする。そして、二つ目は彼ら新人類に対する神の永久的不干渉。これらの約定のもと、神秘の魔石は破壊され、人類は滅亡。神は自らの身を封印した。世界に残ったのは、十二の魔石と、そして、二人の新人類。アダム・ファーディナンド・アシュクロフト。イヴ・アミーリア・アシュクロフト。アシュクラフト家の正当な後継者にして、人類創世の鍵。神秘が消えた世界に、神秘の術をつたえる箱舟。神人会議の後、魔法使いたちは自らの命の保全よりも、神秘の後継を求めた。しかし、魔法を統べる神秘の魔石を破壊された以上、新人類に魔法は使えない。そこで、彼らが考えだしたのは、自らの神秘の記憶を記録した魔導書。そして、その神秘を改変の魔石、輪廻の魔石の力をもってして再現する魔術だった。

紹介 第二回「NEW GAME!」得能正太郎 まんがタイムKRコミックス

名前は聞いたことあるって人が多いのではないでしょうか?作者のかたはとくのうしょうたろうと読むらしいです。最初得能はなんて読むんだろうって思ってて、調べたらそのままとくのうでびっくりしたのを覚えています。

さて、この漫画はまんがタイム。つまり、いわゆる、きらら系と呼ばれる漫画です。まんがタイムきららキャラットで連載中の4コマ漫画。ですが、ストーリーはとても練られていて、主人公 涼風青葉が憧れのキャラクターデザイナー 八神コウのもとで日々の仕事の忙しさ追われながらも、夢に向かって進んでいくという物語です。と、聞くとなんだよくある漫画じゃんと思われるかもしれませんが、これらは、作者の得能さんがゲーム会社に勤めていた経験から書かれているとかいないとか。社畜漫画とも呼ばれていて、とにかく酷な仕事を任されることもあるけど、持ち前の明るさから頑張っている主人公の姿は、明日からも頑張ろうという気持ちを僕たちに与えてくれます。

活力が欲しいと思っている方におすすめです。

今、この記事をスマホで書いてるんですけど、スマホってすごく書きにくいですね…

近況報告(いいわけ)

昨日、ブログの更新ができなかった。毎日更新してたのが三日間。おい、三日坊主かと思われたかもしれないなと思って、少し、近況報告という名のいいわけをします。

実は昨日、僕が大好きなアニメ「ワンダーエッグ・プライオリティ」のBlu-rayが届いたんです。届いたんだから、つい見ちゃう。で、見ちゃって、やっぱり大好きな作品だから、何度も何度も見てたんです。そしたら、すでに日にち跨いでて・・・

ワンダーエッグ・プライオリティ」見てるよっていう人がどのくらいこれを読んでくれる人の中にいるか分からないけど、本当にいい作品だから見て!いずれこのブログでも紹介すると思うけど、その時はたぶん一話ずつに分けてやる。で、最終回終わったらやるつもりだから、早くてもあと一週間くらいはかかると思います。

さて、というわけでいいわけでした。

今、僕は文藝賞に向けて小説を書いています。多分その原稿はここには載せないけど、いずれ冒頭だけとかはやるかも・・・分からない。

今その小説ですっごい悩んでるところがあって、そこ考える片手間でこのブログを書いています。だから、変な文章になってたらごめんなさいね。

えーと・・・そろそろ言い訳のネタが尽きてきたのでこの辺で。

明日、後進できたら、今度は漫画を紹介したいと思います。

紹介 第一回『虐殺器官 新版』伊藤計劃 ハヤカワ文庫JA

第一回ということで、何を紹介しようか非常に悩んだが、やはり、伊藤計劃について触れておきたい。

さて、以前僕はここでは創作に対する批評を行うと記したが、あれは嘘だ。正しくは、紹介。僕が読んで、誰かほかの人にも読んでほしいと思った小説や、見てほしいと思った映画やアニメを「紹介」する。だから、ここで駄作や面白いと思わなかった作品については触れない。また、紹介できそうにないもの、すなわち、僕の力量ではきちんと面白さを伝えられそうにないものについても触れないことにする。また、ここでは作品の紹介とともに、その作者や関係者のバックグラウンドについて、必要に応じて紹介する。作品に対し、純粋にその作品の良さを求める人もいると思う。ただ僕は、その作品が出来上がるまでの過程。どんな人が作ったのか。そういったものを気にする人間だ。

前置きはここまでにして、ここから本題。

伊藤計劃は2007年から2009年にかけて活躍したSF作家だ。活動期間があまりにも短いことに気づいただろうか。そう、伊藤計劃は2009年、三十四歳で病のために命を落とした。『虐殺器官』はそんな伊藤計劃の処女作で、ゼロ年代日本SFのベストとして挙げられている。この作者、実は、この「はてなブログ」とも大きなかかわりがある。2019年の春。と聞けば、このブログをやっている人にはわかるかもしれない。そう、「はてなダイアリー」が終了した。その「はてなダイアリー」で伊藤計劃は、映画やSF評論のブログをやっていた。この「はてなブログ」内にも伊藤計劃の記事をコピーしたブログが存在する。興味のある人はぜひ見てもらいたい。さて、話を『虐殺器官』に戻そう。『虐殺器官』というタイトルがまず秀逸であるということに触れたい。現代の日本人は「虐殺」という言葉を耳にしても遥か遠い、自分とは関係のない世界の言葉であるという認識を持つだろう。僕もそうだ。この小説の中でも、虐殺は日本とは遠い世界で起きている。そもそも、舞台は日本ではないし、登場もしない。では、どこかというと、舞台はアメリカ合衆国。主人公はアメリカ情報軍に所属するクラヴィス・シェパード大尉。世界中で発生している「虐殺」を止めるために戦場に派遣されていた彼は、「虐殺」を引き起こしていると考えられるアメリカ人ジョン・ポール暗殺の密命を受ける。ジョンを追う過程で「虐殺」の正体を彼は知る。と、まあこんな感じの内容だ。「虐殺」の、「器官」。何とも秀逸なタイトルであると、立ち上がって拍手するしかない。

物語の中で、シェパードは何度もこう言う。「母を殺したのは、ぼくの言葉だ」これは、シェパードの考え方や生き方の根底にある言葉であり、また、「虐殺」というシステムの伏線でもある。「母を殺したのは、ぼくの言葉」意味の分からない一文であるが、その正体を知るといたってシンプルだった。彼の母親は延命治療を受けており、その延命治療を中止するか否かという質問に対し、「yes」と答えた。それが、この一文の正体であった。彼は、脳死状態の彼の母親を死んでいると判断したのだが、さて、本当に母親は死んでいたのか。死んでいたと判断してもよかったのか。

この小説はSF小説でありながら、空想的な未来ではなく、現代の私たちの生活から容易に想像できる。これは、現代に対し警鐘を鳴らすという評価をしている人がいた。確かにその通りだ。さすがは批評のプロフェッショナルと脱帽せざるを得ない。しかし、その人が書いた文章に、生と死というテーマについての文章はなかった。僕は、この生と死というテーマこそが伊藤計劃が伝えたかったことなのではないかと考える。

何故なら、この『虐殺器官』がかき上げられた2007年、すでに彼の体は病に侵されており、死というものを身近に感じていたであろうからだ。わずか10日間で書き上げたという『虐殺器官』。そこには彼の中にある焦りのようなものを感じる。そんな焦りの中、彼は何を考えたのか。それはきっと、死とは、生きるとは、ということのように感じずにはいられないのである。

さて、ここまで長々と書いてきたが、小説の核心に触れずに書いてきたため、いささか分かりにくい文章になってしまったように感じる。とにかく言いたいことは『虐殺器官』が素晴らしい作品であるということである。

伊藤計劃については、今後も何度か取り上げていきたい。また、「Project.Itoh」と題されたアニメーション映画についてもいつか触れたいと思う。

 

 

同人ゲーム制作

同人ゲームを作りたいっていう願望は昔からあった。商業、つまり、利益とかしがらみとは関係なく、自分たちが作りたい物、楽しいと思うものを作るのは同人でしかできない。

ただ作るだけじゃなくて、できればいろんな人に楽しんでもらいたい。だから、小説じゃなくてゲーム。ADVがいいのは、自分がとてつもなくゲームが下手くそだから。アクションとか自分がどこにいるのか分からなくなるし、何やってるのか分からなくなる。ADVなら、ゲームが上手い下手に関わらず楽しめる。僕が作りたいのは既存のADVのような、ただ文字を追って物語を楽しんだり、シーンを集めたりっていうシステムだけじゃなくて、アニメーションとか3Dとかも使って、何度でも楽しめるようなゲームを作りたい。一回プレイし終わったら、シーン集めのためにスキップを繰り返すだけにならず、何度でも読んでしまうようなゲーム。

プロットはもう出来てるし、設定はどんどん大きくなっていく。そろそろ行動する頃だと思う。

僕個人の目標は、奈須きのこを超えること。僕は、奈須きのこが作る物語があまり好きではない。けれど、奈須きのこが作る物語ほど楽しい、面白いものはない。奈須きのこを超える。それが今のところの僕の目標。

文章はある程度書けると思う。けれど、僕は絵が壊滅的に下手くそ。パソコンもワードしか使いこなせない。

ゲーム制作のいいところは、そういう、出来ないことを誰かに補ってもらえること。仲間と協力して、お互いに補完しあいながら、一つのものを作り上げること。

まず、同人ゲームを作る仲間を作るところから始める。

大きな目標は前述した通り、小さな目標はコミケへの参加。コロナウイルスの影響でコミケの開催はここのところオンラインになっているけれど、なんとか、コミケに出品したい。

はじめまして。

はじめまして

i-productionです。

企業名のようなユーザー名になってしまったけれど、あくまで個人。このブログの目的は、productionすなわち、創作。僕の創作物を発表する場であり、一般の創作を批評すること。

ここでの意見はあくまで僕個人の意見であって、その意見や創作の中で語っている僕の考えを誰か他人に押し付ける物ではないから、そこは留意してほしい。

とりあえず、初めてということで、創作について語りたいと思う。あるいはそれが、僕の自己紹介の代わりになるかもしれないから。

 

創作っていうのは、果てしなく孤独な行為だと思う。これは、多分誰もが思っていること。当然、僕もそう思っている。創作をする人は奇をてらって、ほかの人とは違うっていうことをよく公言したり、Twitterとかで呟いたりしてるけど、それって、自分自身が他と違くないってことをよくわかってるってことの裏返しだと思う。だって、自分がほかの人と同じ考えを持っていないと、それがほかの人と同じ考えだとは思わないわけ。けれど、そうとわかってても、創作する人は奇をてらいたくなってしまう。だから、創作は果てしなく孤独な行為なんだよ。