紹介 第三回 『わたしの恋人』藤野恵美 角川文庫

 お久しぶりです。ここ数日、ブログの更新ができませんでした。文藝賞の締め切りや引っ越し、大学でのガイダンスといろいろあり、忙しかったのです。一段落着いたので、更新を再開します。また、よろしくお願いします。

 さて、第三回となった「紹介」のコーナー?ですが、今回は藤野恵美さんの『わたしの恋人』についてお話ししたいと思います。藤野恵美の青春三部作の第一作として発売された小説である。これはいわゆる恋愛小説というもので、実は僕、恋愛小説はあまり読まないのです。それでもいくつかは好きな作品があって、これはそのうちの一つ。

 この小説は、高校一年生の主人公 龍樹の家庭環境の描写から始まる。龍樹の両親は結婚して数十年たっているにもかかわらずいまだラブラブ。そんな過程で育った龍樹は、当然のように運命というものを信じている。それこそが幸せなのだと考えている。サッカー部員の彼は、部活の最中にけがをして保健室に行く。そこで、彼は運命と呼ぶべき出会いをする。森せつなとの出会いだ。くちゅんという彼女のくしゃみに、彼は運命を感じ取る。なんてかわいいんだ。心臓に衝撃が走る。これが、恋ということなのか。ということになる。運命というには、あまりにもエゴイスティックだ。けれど、そもそも運命の出会いなんてものは、エゴの塊だ。

 視点が変わり、当作のもう一人の主人公、森せつなの家庭環境の描写になる。彼女の両親は龍樹のそれとあまりにも対比的に描かれる。顔を合わせれば喧嘩ばかりしている両親のもとで育った彼女は、早く家を出て、ひとりで生きるのだと決意している。そんな彼女の頭の片隅にあるのは、昼間、自分の寝顔を見られたある少年のことだった。そう龍樹である。

 それから、二人の視点が交互に描かれ、それぞれがお互いのことを意識し始める。様々な障害、考え方の違い、家庭環境、それらを乗り越え、二人の関係の発展を実に美しく、みずみずしく描写していく。

 設定も、キャラクターもどれもがありきたり。奇抜さなんてなく、意外性もない。ただ、恋する二人の男女を丁寧に描くだけ。ただそれだけなのに、あまりにも強くその情景は、その文字列は、僕の心にしみわたってくる。それは、今はもう失われてしまった景色だからかもしれない。間違いなく、今、この時代にこのような恋愛はできないだろう。これは、日本の、人間の原風景。初恋、青春。そんなむずがゆくなるテーマを、徹底的なまでに追求し、丁寧に描かれている。この小説は、存在していることに価値がある。これから、このような恋愛小説は減っていくことだろう。文学の世界では、奇抜なもの、異常なものが受け入れられつつあるから。だからこそ、この作品には圧倒的な価値があるのだ。普段は恋愛小説なんて読まないっていう人にも、ぜひ読んでほしい。あまりにも甘い恋愛小説だが、その甘さは今の例えば日本の恋愛映画のような甘さではなくて、どこか懐かしい、口に不快感を残さない甘さだ。この小説は、心理描写や情景の描写を読むためだけに読んでも十分に満足のいくものだ。